ソフトウェアエンジニアとして転機(7) 2020年12月06日 前回は、Fuji Xerox DocuStation IM 200の開発までの話でした。 富士ゼロックスを退職IM 200の後継機の開発はなく、私自身は1996年8月末で富士ゼロックスを退職しました。1984年4月に社会人になって働き始めてから、12年5か月勤務したことになり、私の今までの経歴で最も長く勤務した会社となります。残念なが… 続きを読むread more
ソフトウェアエンジニアとしての転機(6) 2020年04月26日 Fuji Xerox DocuStation IM200Xerox PARCでのPageMillプロジェクトの成果を商品化するために、1993年5月に日本に帰国しました。34歳でした。商品化したFuji Xerox DocuStation IM 200については、富士ゼロックスの「商品・サービスの歩み」の1996年に写真とともに簡単に説… 続きを読むread more
ソフトウェアエンジニアとして転機(5) 2019年12月20日 Xerox PARC(パロアルト研究所)1991年4月にPARC(Palo Alto Research Center)で働き始めるに先立って、その前にアパートを探すために一度Palo Altoを訪れました。アパートは、スタンフォード大学の敷地に面した通りを挟んだOak Creek Apartmentsに南向きの2ベッドルームを見つけるこ… 続きを読むread more